9月に入ったころから、イギリスはニットやコートが必要な気候になりました。「イギリスの夏は最高だけど、短くてあっという間。冬は長くてどんより曇り空。」ロンドンに何年も住んでいる友人からそう聞かされていたので、夏が終わっていくことがとても寂しい気分になります。そんな私の気分とは反対に、街は少しずつハローウィンやクリスマスに向けての準備が始まり(とにかくクリスマスが大好きなのです)、ロンドン各地ではデザインフェスティバルが開催されたり、人々は美術館や博物館に足を運んだり、この季節ならではの雰囲気を楽しんでいるようです。
先週末、私もサウスケンジストンにあるヴィクトリア&アルバート博物館に行ってきました。博物館はもちろんのことですが、実は一番楽しみにしていたのは博物館内にある「V&Aカフェ」のモリス・ルームに行くこと。今は美術館にカフェがあるのは珍しい事ではありませんが、ここは世界で初めて作られたミュージアムカフェなのです。当時、美術館にカフェという概念のない中で、素晴らしい発想と新しい挑戦だったのではないでしょうか。そして、そこにはウィリアムモリスがデザインした空間、モリス・ルームがあるのです。
カフェについては少し置いておいて、まずは博物館の紹介から。ヴィクトリア&アルバート博物館は・衣装・彫刻・絵画・ガラス工芸品・陶磁器・写真・家具等、230万を超えるコレクションを収容している国立博物館です。1852年に設立され、1857年に現在の敷地に移りました。そして、ヴィクトリア女王とアルバート公が基礎を築いたことから1899年にヴィクトリア&アルバート博物館という名称がつけられたそうです。館内には146もの展示室があり、世界中から集められた美術品に溢れた様子はまるで宝箱のよう。膨大な展示物が素晴らしいのはもちろんのこと、博物館そのものの建造物が、とても見ごたえのあるものでした。
まず入口からはいると、天井からは光が差し込み、大きなオブジェが出迎えてくれます。
そして入口から左にある彫刻の部屋。ミケランジェロのダビデ像のレプリカが目を惹きます。
日本やアジアの美術品のフロアも混み合っており、ヨーロッパにおけるアジアの美術品への関心の高さも感じられました。また、ファッションの展示室では年代別に分けて、中世のドレスから現代の洋服まで展示しています。華麗なドレスの刺繍や装飾を間近で見ることができます。
こちらは彫刻のフロア。自由にデッサンをしている学生がいました。赤い壁紙の部屋は絵画の展示室で、18~19世紀頃の作品が多く展示されています。他にも書ききれないほどの展示室を持つヴィクトリア&アルバート博物館。何度でも通いたくなるような博物館です。
さて、博物館を見終えた後は、念願だったV&Aカフェへ。博物館と中庭を挟んで建てられたⅤ&Aカフェ。その中庭では、人々が思い思いにお茶やランチを楽しんだり、読書をする人も。とてもゆったりとした時間が流れています。
カフェの店内はジェームズ・ギャンブル、エドワード・ポインター、そしてウィリアム・モリスがデザインした3つの部屋に分かれています。
まず、明るく華やかな装飾を施されたギャンブル・ルームは若いアーティストであるゴドフリー・サイクスによって計画されました。そして、早すぎたサイクスの死後、ギャンブル・ルームの名前にも由来するジェイムズ・ギャンブルに託されたのです。室内には「A good cup makes all young」「Hunger is the best sause」の文字が刻まれています。
その隣にあるポインタールームは画家のエドワード・ポインターが手がけました。ギャンブルルームとは対照的に落ち着いた雰囲気の室内は東洋からの影響も感じられます。
そして、最後にウィリアム・モリスが設計を手掛けた、モリス・ルーム。ビクトリア時代、誰もが知る有名なデザイナーのウィリアム・モリスですが、このモリス・ルームを設計した当時は31歳という若さで比較的まだ世に知られていなかったそうです。そして、ウィリアム・モリスにとって公的な空間をデザインするのはこれが初めてのことでした。ウィリアムモリスは友人の建築家フィリップ・ウェッブと画家エドワード・バーンジョーンズの助けを借りて装飾をしました。部屋はオリーブの石膏のレリーフと野ウサギを追いかける犬の装飾に囲まれていて、ステンドグラスの窓、幾何学的なパターンでデザインされた天井と調和しています。
31歳のモリスが、どのような気持ちで、この部屋を作りあげたのでしょうか。室内の一つ一つの装飾を見渡すと、手仕事や美しいものに対しての想いを感じることができます。この部屋ができた当時はアーティストの待ち合わせ場所としても好まれてたそうです。人々の手によって大切に作られた空間が長い年月を経て、今も世界中から人が集まる空間として愛されています。この事実こそ、モリスが唱えていた思想そのものなのではないか、と私は思います。