ウィリアム・モリスは(1834-96)イギリスで19世紀に活躍した小説家であり詩人。その才能は文筆業に収まらず、デザイナーであり思想家としても有名です。産業革命の結果として大量生産された安価で粗悪な商品を批判し、「役に立つかわからないもの、あるいは美しいと思えないものを家の中に置いてはならない」という職人による手仕事の復興を目指した信条のもとに、生活と芸術を統一させようとしたモリスの思想や実践(アーツ・アンド・クラフツ運動)は20世紀デザインの源流となり、「モダン・デザインの先駆者」に位置づけられています。
下の写真はウィリアム・モリスが新婚時代の5年間を過ごしたことで知られるレッド・ハウス。モリス自身が住まいのラフプランを起こし(実際の設計は友人の建築家ウェッブが担当)、建物に合わせて家具や内装をデザインしました。イングランドのケント州ベクスリヒース(現在のベクスリー・ロンドン特別区)に建てられアーツ・アンド・クラフツの原点となった建築物です。
モリス自身も妥協のない創作活動にこだわりました。例えば名作「いちご泥棒」のオリジナルは、インディゴに染めた生地のデザイン部分の色を抜き、さらに同じ工程を今度は赤、緑、黄色といった手順でプリントを重ねる、当時としては非常に高度なプリント技法によるものです。
結果裕福な人々しか手にすることができなかったという批判もありますが、思想自体は世界中に大きな影響を与えました。左右非対称の有機的曲線等、従来の様式に囚われない装飾性や、新素材の利用などを特徴とするアール・ヌーヴォー(フランス)。クリムトを中心に前衛的で実験的な表現を目指したウィーン分離派(オーストリア)。美や快楽と実用性を融合させることを主たる目的としていたユーゲント・シュティール(ドイツ)など、各国の美術運動やグループにその影響が見られると言われています。
画像はグスタフ・クリムト「生命の樹」
制作年は1905年から1909年で、オーストリア工業美術館に所蔵されています。ウイーン分離派でウイーン工房の創設者であった建築家のヨーゼフ・ホフマンが設計した銀行家アドルフ・ストックレット邸の装飾として描かれた作品です。
世界的インダストリアルデザイナー柳宗理の父で、思想家兼美学者であり宗教哲学者でもある柳宗悦も、モリスの運動に一定の共感を寄せました。柳の民藝運動は日用品の中に美(用の美)を見出そうとするもので日本独自のものですが、アーツ・アンド・クラフツの影響も見受けられます。
モリス没後、後継者たちは機械化や分業性に頼らない手仕事への追求と、誰もが買える日用品としての普遍性の矛盾で悩みましたが、時間とともにそれらの課題も克服されていきます。産業の発達・成熟過程において、モリスの思想は脈々と受け継がれながら、進化していくことになりました。
アーツアンドクラフツ運動(1880年代)
→ドイツ工作連盟(1907)
→バウハウス(1919)
→ミッドセンチュリー(1940~60)
現在の日本でも、産地や作家などの個性や特徴を全面に出した製品が数多く製作、販売され、minneやiichi、creemaのように、企業ではなく個人の作品を取り扱う販売チャンネルも珍しくありません。この流れを「アーツ・アンド・クラフツの影響」というのは少々無理がありますが、大量生産へのアンチテーゼという意味ではあながち無関係とは言えません。
また、ものづくりに携わる職人たちが2004年に結成した
「現代手工業乃党」という団体があります。
彼らのウェブサイトにはこう書かれています。
「現代手工業乃党は、モノ作りの過程においてデザインから製作までを担う、デザイナーかつ技術者が集う団体です。私たちが日々追求しているのは、大量消費用の既製品でもない、高級輸入品にもない、アンティークや伝統工芸品にもない「現代的な手工業」という新しいカテゴリーのプロダクトです。現代手工業乃党が目指すのは、先人が築き上げてきたモノ作り文化を受け継ぎ、独自の感性でもってこれを発展させ、次世代へと引き継いでいくことです。」
もし、モリスが今の時代に生きていたならば、何を想うのでしょうか。
FIQ自由が丘及びFIQオンラインにて、9/1日よりモリスコレクションを発売します。どうぞお楽しみに。
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最後に、点と線模様製作所の代表 岡理恵子さんが、ご自身の著作物「
ten to sen の模様づくり」の中で、モリスについて書かれた文章をご紹介します。
わたしが模様づくりをするようになったきっかけは、すべて北海道東海大学の旭川校舎に通ったことに由来します。行かなければ模様づくりの道に入ることもなかったと思います。入学するきっかけは、職人が一つのことに打ち込むように働く姿にあこがれたことです。しかし、何をつくる人になりたいかということはわからず、デザインの基礎を学ぶことに。空間デザインのコースに進み、人が直接触れる場所、身を置く場所についての勉強をしました。
学生最後の年となる4年生の卒業制作で、壁紙をつくることになりました。
当時のわたしは空間の設計よりも、すでに存在する場所の中でカーテンやテーブルクロスを取り替えて暮らしを彩るようなことを、何かしら形にしたいと思っていました。それを恩師に相談したところ、勧められたのが壁紙づくりだったのです。カーテンやテーブルクロスのように交換が容易なものでは模様の遊びが多いので、はじめて模様というものをつくるのであれば、空間の中に存在しつづける壁紙にすると暮らしの中で心地よく使える模様の基礎が学べるのではないか、という理由でした。
そして恩師は模様づくりのヒントとして、かつて木版でつくられていたウィリアム・モリスの壁紙の再現というテーマを与えてくれました。ウィリアム・モリスとは、19世紀のイギリスで活躍したデザイナーです。産業革命後、世の中に大量生産品があふれるようになった時代に手仕事の重要性を掲げ、芸術と生活の一致をめざす「アーツ・アンド・クラフツ運動」の先頭に立った、「モダンデザインの父」とも呼ばれる人物。その彼がデザインした壁紙の模様は、まさにわたしが小さな頃にあこがれていた外国の物語の世界のものでした。
まさか、その模様がつくれることになるとは思ってもいませんでした。しかし「つくってみれば」と言われたことがきっかけで、「つくってはいけない」と勝手に思っていた縛りが消えて、「つくってみたい」という思いのボタンが押されたのです。
モリスがイギリスの身近な植物を題材にしたのなら、わたしも北海道の風景や植物を題材に模様をつくろうと思いました。そしてモリスの「柳の枝」という壁紙の再現からはじまり、最終的にはオリジナルで制作した「北国の暮らしのための壁紙」が卒業制作となりました。このことが、模様づくりの基礎を勉強するきっかけとなり、点と線模様製作所という名前で模様づくりを仕事とするきっかけになりました。
卒業制作での模様づくりは、子どもの頃の空想時間とデザインを結びつけることで、私的な喜びだったことを自分のためではなく誰かのため、社会に役立つものへと昇華させなければいけないということでした。わたしがそこで自分が育ち、過ごしてきた北海道というフィールドを背景に選んだのは、はじめてつくる模様は自分の見てきたもの、触れてきたものを題材にしなければ描くことなどできないと思ったから。慣れ親しんだ土地の風景やそこでの記憶が模様に意味を持たせてくれるように思ったのです。
植物や風景といった目に見えるもの、冬の寒さや雨音といった目には見えないものなど、記憶の風景とともに模様が生まれます。誰かの暮らしと出会い、時がたちその人の記憶の風景の一部となることを願いながら図案をつくります。5年、10年の時がたつ中では、わたし自身も旅に出て知らない土地の空気に触れることもあるかもしれません。題材を探すのではなくその場所に身を置くことで、見聞きしたものや記憶のかけらを描くくように模様に綴ることができればと思っています。
<ご本人の許可をいただいて掲載しています>